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「先輩……申し訳ありませんが僕、今日は『蟲笛』をもっていないんで……」
「大丈夫だ。『王蟲』は飼ってない」
そして逃げ腰になった僕の首根っこが抑えられた。
「だってこれ」
玄関にはペットボトルの空がゴロゴロ転がっていた。
部屋へとづつく廊下には溜め込んだ雑誌や新聞が積み重なっている。
その奥にかすかに見える部屋の中にはなにやらごちゃごちゃしたものがシルエットのように浮かび上がっている。
さらにはどんよりと漂う生ゴミのにおい。
「やばいとは思ってたんだ」
思ってんなら片付けろ。僕はひきつりながらも頭の中で毒づく。
なんてこった。これじゃあ確かに『労働』が必要だ。
きれいな顔して『片付けられない症候群』かよ。ううっ。謝礼受け取ってもらったほうがよかったよ。
「ま、とりあえず入れよ。事情は説明するから」
「先輩、その前にコンビニいってきます。すぐ戻りますから」 それだけ言うと僕はコンビニへ向かうべくダッシュした。
近くのコンビニに飛び込むと、まず手を伸ばしたのは東京都指定のゴミ袋。お次は雑巾と各種洗剤。
あの汚れっぷりからすると茶碗も洗濯物も、何もかもぜーーーーんぶひどい状態に違いない。
最後に臭い消しのスプレーを手に取った。
「明日は燃えないゴミの収集日か」 部屋に戻る前に管理人室横の掲示板にはってあるゴミ集荷の曜日をチェックする。
いや、まてよ。このくらいのマンションならゴミ収集所が管理人室の裏辺りにあるはずだ。
そう思って外から管理人室の裏手をのぞくと、あるある。ご立派なのが。とりあえずゴミはここに移動させよう。
そんな事思いながら部屋へ戻ると、掃除道具をいっぱい抱えて戻った僕をみて先輩が驚いた顔をしている。
「た、田村。あのさ」
「とりあえず!」 先輩の言葉をさえぎって僕は先輩にゴミ袋を突き出した。
「生ゴミからです。あ、生ゴミの場合はゴミ袋は2重にしてくださいね」
さて、ゴミを何とかするぞと意気込んで部屋に入れてもらった僕は中の壁をみて今度は凍りついた。
「な、なんだよ。これ」
部屋の白い壁いっぱいにペンキで書かれた「ばか」「あほ」の文字。 赤い色で滴るように書かれていてめちゃくちゃ
不気味だ。
「うわー。ドラマなんかではよく見ますけどナマでみると迫力ありますねぇ」
「これを見てそういう反応するお前に俺は驚くよ」
僕の後ろにたっていた先輩がつぶやく。
「は……はは。こんなんで驚いてちゃ変わり者の多い作家の担当は勤められませんよ」
本当はかなりびびっていた。
部屋がこんなになったのは『片付けられない症候群』じゃなかったのか。
こんなことするなんて一体誰なんだろう。別れ話がこじれたのかな。
頭の中でいろいろと推理しながら臭いのひどい生ゴミから拾っていく。
「もーっ、せめてすぐに生ゴミをすてておけばこんなにひどい臭いにはならなかったのに」
窓を開けてぶちぶち言ってると、
「悪いな、さすがの俺も驚いちゃって。部屋がこうなってから初めてこの部屋に戻ってきたよ」
そう弁解する答えが返ってきた。
「どこへ行ってたんですか」
しまった、行く所なんていっぱいあるだろうに、野暮な質問だ。
「会社近くのビジネスホテル」
ちょっと意外な答えが返ってきてまたまた驚いた。同時にちょっとほっとした自分に「ありゃ?」と思いながら。
不気味な部屋の中で男が二人必死に片づけをしているなか、僕の携帯が鳴り響いた。
このテーマソングは
「あ、亜紀さんだ」 あわててとると、
「田村君、やだーん。全然連絡ないんだもん。心配しちゃった」
なんか体の力が抜けるな。
「ねえ、いいところ見つかった」 おねだりモード全開の声だ。
「ええ、紹介してもらいました。明日そちらに伺って詳しいことを……」
するとまだ全部話し終わっていないというのに
「きゃー。恵ちゃーん、見つかったって。明日早速行きましょうね。あ、田村君ありがと。明日待ってるわ、ちゅっ」
プッ。 僕が返事をする前に電話は切れた。
ちゅっ、って。セリフでいうなよ。明日って気が早いよまったく。などと思いつつ頬が緩んでしまう自分に自己嫌悪。
「田村、今の着メロ『ジョーズのテーマ』か」
笑いをこらえたように先輩が言う。
「作家さんからの電話の着メロはみんなそれです。迫りくる緊張感が一緒だから」
「じゃ、おまえんとこの編集長からのは?」
「ダースベーダーのテーマ」
耐え切れなくなったかのように先輩が笑い出す。つられて僕も噴出す。
げらげらと笑いながら掃除をつづける2人だった。
2005/9/12 update