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 先輩はそういって僕にさりげなくウィンクした。

 ……おおっ、

「先輩!」 僕は思わず声を上げて立ち上がった。

 いきなりでかい声を出した僕をみて驚いたのか先輩は目を見開いて固まっている。

「田村。 ど、どうしたの」

「い、いまのセリフとしぐさ、いただきですっ」

 

……。


 あれから30分はたった。 なのに先輩はいまだに時折肩を震わせている。

「先輩ぃぃぃぃ」

「ん、あ、いやいやごめん。どうもツボにはいっちゃったらしくって、思い出すと笑いが止まらない」

 

 そう、すっかり亜紀さんに毒されている僕は彼女同様、常に『ネタ探し』をしてしまう。いつもなら「これだ」と思うことが

あっても隠せたのにさっきはあまりの『お約束』なシチュエーションに興奮してつい大声を上げてしまった。

「すみません」

「謝ることじゃないだろ。に、してもお前その小さい頭でちゃんと仕事してるんだな」

 うっ。小さいって。僕気にしてるのに。

 まあでも。 もともとのお願いが『失礼』なんだし、その後も『失礼』しっぱなしだったけど最後は笑ってお別れできそうだ。

 

 

「先輩、今夜はありがとうございました」

 そろそろ帰ろうか、と、いう雰囲気になったのを見計らって僕は先輩にお礼をいった。

「いや、気に入ってもらえたようで良かった」

「それでこれ、会社から今回の謝礼です。少ないですけど」

 すると彼は眉をひそめて、

「謝礼?  いいよ。店に案内しただけだし」

「そうはいきませんよ。僕今までいったお店では一円も払ってないんですよ。なにかさせてもらわないと困ります」

 すると先輩は前髪をかきあげて困った顔をしていたけど、

「別にそこまで気にしなくていいんだけど……そうだな」

 よかった。受け取ってくれそうだ。
 

「じゃあ、労働でかえしてもらおうか」

「……は、労働、ですか」

「いつかはどうにかしなくちゃとは思ってたんだけどさ。どうもきっかけがね。最近さすがに生命の危機を感じるように

なってきたことだし」

 なんのことだ。

「で、労働。いいかな?」

「はあ」

「よし」 先輩はにっこり笑うと僕の手をひっぱって店を出て、「あらら」と思っているうちに2人ともタクシーに乗っていた。

 どこ行くんだ? せ、生命の危機って何だろう。うわー。この分だと終電アウトだな。

 

 20分ほど走ると先輩が運転手に道筋の指示をだす。どうやら目的地は近いらしい。

「到着。ここ」

「ここ、どこですか」 レンガ作りの入り口がみえ、奥にはマンションがそびえ立つ。

「んー。ここ俺んち」 話しながらすたすたとエントランスに入っていく。

「はあ?」

「せ、生命の危機の労働は」

「ちがう。労働しないと生命の危機なんだ」

 なんのことやらさっぱりだ。

僕の住むマンションとはえらい違いのエントランスを通り抜け、目的の階にたどり着くと。

 

「さて。覚悟はいいか」

「はあ」

 

カチッ

 

鍵を差し込んでドアを開ける。

 

『労働が必要』って。部屋の中を見たとたん。僕は亜紀さんに感じるものとは全く別のめまいがした。



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2005/9/4 update

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