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『君の名は小林少年』

立花 薫



 なるほど今にも潰れてしまいそうな喫茶店だな。

 場所は銀座と新橋の中間。そう悪くない。




 ここは知り合いのじいさんが『人生最後の道楽』と称して一人で始めた喫茶店だ。

 道楽というだけあって土地もそのじいさんのものだし、売り上げが目的の経営じゃないからのんびりしたものだった

らしい。


 ところが先日、そのじいさんが階段ですっ転び大怪我をして入院してしまった。

 なんと 全治2ヶ月。


 突然病院まで呼び出されたオレは驚いた。

 あんまり親しくなかったのに、そのじいさんから退院するまで店を任せたいなんて言われてしまったのだ。

 確かにオレは大学時代喫茶店でずっとバイトをしていたからそういったことには慣れていた。いつだったかそれを

じいさんに話した気もする。

 とにかく、驚きはしたもののオレは一発でひきうけた。

 それもそのはず。

 はずかしいことに2ヶ月近く求職中・無職の身だったのだ。こうなったらどんな仕事でもたとえ短期でも引き受けよ

うってもんじゃないか。



 さて、実際行ってみるとその店の入り口はなんとなくうすぎたなく、自分が客だったら即ターンして別の店を

さがす、そんな風情だった。

「『喫茶・モネ』か。なんか名前からして鈍くさい。本当に『道楽』でやってたんだな。あのじいさん」



 それでも預かった鍵で中に入ると、かすかにコーヒーの匂いがする。やっぱり喫茶店なんだと思わせた。

「ま、怪我したじいさんが戻ってくるまでだし。それまでは店で何をしてもいいっていわれたしな。出来るだけの

事はやるか」

 そうつぶやいて溜息をひとつつくと、

「よしっ。まずは掃除だ。この店なんか汚すぎるもんな」

 今日一日目一杯掃除をして、明日コーヒーの在庫と仕入れを確認、食材を調達すれば来週の月曜日からなんとか

営業を再開できるだろう。

 オレはやるとなったら徹底的にやる主義だ。

 朝も早くからシャツの袖を捲り上げて徹底的に掃除をした。

 床を磨いてテーブル、椅子も特別な洗剤を使って汚れを落とし、乾いた布で拭いて仕上げをする。

 カウンター席を入れても12、3人くらいしか入れない小規模な店なのでそんなに大変じゃない。

 それから外に面したガラス窓をぴっかぴかに磨き、特にお客様がはいってくるドアは力をいれて磨いた。

 じいさんには悪いが入り口側にあった『中途半端に枯れた植木』は全部捨て、かわりにみずみずしい色のポトスの

植木を買って来て入り口の右左にバランスよく配置させてもらう。

 これだけで午後の3時過ぎまでかかったけど予想以上に綺麗になって朝見た時と別の店なんじゃないかとうぬぼ

れたくらいだ。

 お次はカウンター内にある調理道具、コーヒーメーカー、カップ、グラスもう全部徹底的に洗い上げて気が付くと

夜の10時をすぎていた。



「うへえ、もうこんな時間か。全然気が付かなかった。あとは明日にして帰るとするか」

 外に出て店をドアを閉めていたその時、



「バカ野郎! だからおめえはまだ1人で尾行なんか無理だって言ったんだ。もういい、明日からまたやり直しだ。

反省しろ。あほんだら」

 突然耳をつんざくような声がして、驚いて鞄を落としてしまった。

 顔を引きつらせたまま声がしたほうを見ると、30歳くらいの怖い顔した男の人がぶつぶつ言いながら携帯を

きるところだった。

 どひゃー。今の部下かなんかを叱ってたのかな。コワイなあ。目はそらしておこう。

そう思っていると。

「あれっ」

 その男がまたでかい声を張り上げた。

「この店潰れたんじゃなかったのか」

 うわー。オレってば話し掛けられてしまった。

「あ、あの。マスターが怪我をして入院したんです。退院までは私がかわりに……」

するとそのコワイ男性はまゆをひそめると、

「ふーん。お前のコーヒー『は』うまいのか」と聞いてきた。

 なんだか態度がでかいな。そう思ったけどお客様になるかもしれない相手に変な対応はできない。

「月曜日から再開する予定ですから、よかったら飲みにきて審査してください」

 なんてリップサービスで可愛げのあることをいってみる。

「審査ぁ、いいぞ。審査してやるから一杯目はサービスしろよ」

  げっ。余計なこと言わなきゃ良かった。コワイ、声がでかい、に、プラスしてずうずうしい。

  オレが何も言わないでいると何を思ったのかそいつはいきなり、

「ああ、俺の名刺がほしいって顔してやがるな。ほら」


 も、全っ然、欲しがってませんけど。


「生島探偵社 社長……。すごいな。社長さんですか」

 んなことどーでもいいけど、これもリップサービスだ。

「月曜日にきてやる。じゃあな」

勝手に話し掛けてきて、勝手に審査してやるって言って、勝手に名刺渡して帰っていった。

「なんだんだ。あの人は」
 

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2005/ 6/14  update

2005/11/11 語尾修正

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